時代は移り、平安時代の大同二年(807)、徳一大師は、会津西方浄土の霊場を開かんと阿賀川の御身が淵(昔、鳥追観音が祀られていた地)を通られた時、鳥追観音の「これより南の山に七仏説法の霊場あり。そこへ我を勧請せよ。」とのお告げを頂き、南の山(現在地)に金剛山如法寺をご開創なされ、6月17日、ご本尊聖観世音菩薩の胎内に「鳥追観音」を入仏秘され、ご供養なされたと伝えます。故に、6月1ヶ月間、春の例大祭「若葉祭」を開催致し、ご本尊の特別御開帳を致しております。
当山如法寺が、「会津西方浄土」と称されるのは、鳥追観音の大慈悲により衆生を導いてこの世の寿命を全うさせ、やがてあの世は「西方浄土」へ安楽往生が叶うとのご誓願によります。そして、この道理を示す為に、観音堂は、東西向拝口・三方開きという独特な構造になっており、東口から入り、鳥追観音に祈願したら、戻らずに西口から出ると、その彼方が「西方浄土」の世界なのです。
また、身代りなで仏(金剛力士像)をなでで祈願すれば、ころりと大往生が叶うというので「ころり観音」とも尊称され、会津ころり三観音の一に数えられております。
徳一大師御開創以来、千二百年の歴史と法燈を今日に伝える、ご本尊鳥追聖観世音菩薩像をはじめ諸仏像、仁王門、観音堂などの建造物、仏具などの美術品に至るまで、数多くの重要文化財を所蔵し、更に雪国会津の厳しい自然の中で生き続ける、樹齢千二百年の高野槙(県指定天然記念物)が孤高に聳え立つ、≪会津西方浄土・鳥追観音如法寺≫こそ、私たちの≪命のふるさと≫であります。
山主合掌 |