鳥追観音 如法時 仏都会津の西方浄土 命のふるさと 徳一大師開山千二百年 会津ころり三観音の一
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大正時代ごろの如法寺観音堂
提供:NPO法人会津の文化づくり
千二百年前の平安時代初期、奈良の都から会津へ下られた法相宗の僧徳一〔生歿年は、高橋富雄氏の説、天応元年(781)生まれ、承和9年(842)11月9日歿。享年62歳〕は、会津に仏の都を実現し衆生済度をと志し、大同2年(807)、会津東方の磐梯山麓に根本寺として慧日寺を創建なされ、次いで越後への要所野沢に会津西方浄土として鳥追観音如法寺を開創なされました。更に会津盆地の中央に勝常寺を、奥会津只見への要所柳津に円蔵寺を、会津北方の要所熱塩に慈眼寺(現在は示現寺)を開創なされ、仏の都会津実現の為に、日夜、民衆の布教教化に邁進なされました。故に民衆は、僧徳一を東国の化主、菩薩、大師と尊称致し、尊信敬仰致したのであります。

また、徳一は、平安新仏教のリーダー、天台宗最澄に対して、弘仁7年(816)『仏性抄』を著して、法相三乗説の立場から法華一乗説を批判した。最澄は、翌8年2月『照権実鏡』を著して反論、ここに三一権実論争が始まり、最澄が示寂する同13年までの5年間に亘り続けられた。真言宗空海に対しては、『真言宗未決文』を著して、11ヶ条の疑問を提出し真言宗を批判した。空海は、天長元年(824)『秘密曼茶羅教付法伝』に於いて、重要な第11鉄塔疑にのみ答えた。この様に、徳一は、平安新都の二人のリーダーに対して、奥州会津慧日寺に住しながら、真っ向から独り法戦を挑み一歩も引かず五分に亘りあい、よく旧南都仏教法相宗の正義を守った学僧としての面目も高いのであります。

徳一が、東国の化主と法相宗の学僧との両面で、まさに八面六臂の活躍を致したことは、もう一人の東国のリーダーと申しても過言ではありません。最澄、空海が、後にその功により天皇から賜った、伝教大師、弘法大師の称号も、誠に尊いものであるが、徳一菩薩、徳一大師と、一般民衆より尊信敬仰されたことは、仏教僧の本分である衆生済度に身命を賭して、都より遥か東国の野に下り、民衆の為に御仏の慈悲を施し、仏教の法燈を点し続けた徳一の真面目であり、菩薩、大師の尊称も、徳一にこそ相応しい尊称であり、仏都会津の礎を築かれた偉大な祖師と申せます。故に、私たちは、今日でも徳一大師と尊称致し、尊敬致して止まぬのであります。

その後、やがて磐梯山慧日寺は、会津四郡を支配し、最盛期には寺領十八万石、子院二千八百坊、僧侶三百人、僧兵数千人を数える程に隆盛を極め繁栄致しました。この慧日寺支配による荘園政治は、武家政治が確立する鎌倉時代以前まで続き、奥州一の会津仏教文化の黄金時代を創り出したのであります。そして、それは今日でも仏都会津と称されて、単に仏教文化遺産のみに止まらず、会津の文化、思想・政治・経済・芸能・風俗などのあらゆる面に広く深く浸透し、会津嶺の湧き水の如く尽きること無く、会津文化の源泉として影響を及ぼし続けているのであります。千二百年前、徳一大師が、会津の厳しくも美しい自然の大地に蒔いた仏教文化の種を、先人達は、枯らすことなく大切に育み枝葉を繁らせ、四季折々に美しい会津に仏教文化の花々を見事に咲かせて、実り豊かな仏都会津を築いて来たのであります。

どうぞ、皆様も≪仏都会津の祖・徳一大師ゆかりの古寺巡礼≫をなさって、徳一大師の衆生済度への熱き御心を偲び、祖先の労苦に感謝致し、会津独特の仏教文化と豊かな自然の恵みを味わい、身も心も癒されて、明日への叡智を養って頂きます様に、心よりご祈念申し上げます。

山主合掌



西暦 年号 記事
538 宣化3 仏教伝来
668 天智7 僧行基誕生
736 天平8 僧行基、芹沼村の農夫に観音像を授く。ご霊験より「鳥追観音」と名付く。
749 天平感宝1 僧行基没、82歳。
767 神護景雲1 8月18日、天台宗伝教大師最澄誕生。
774 宝亀5 6月15日、真言宗弘法大師空海誕生。
781 天応1 法相宗徳一大師誕生。
804 延暦23 7月、最澄、空海が唐に渡る。
805 延暦24 7月、最澄、帰朝す。
806 大同1 1月、最澄、天台宗開宗。空海、帰国す。
807 大同2 6月17日、徳一、御身が淵より「鳥追観音」を勧請し、金剛山如法寺を開創。弟子宥尊住す。
815 弘仁6 最澄、東国へ布教。空海、会津の徳一に書状を送る。
816 弘仁7

徳一、「仏性抄」を著し最澄と論争。「真言宗未決文」を著し真言宗を批判。

817 弘仁8 最澄、「照権実鏡」を著し、徳一の批判に答える。ここに三一権実の論争始まる。
822 弘仁13 6月4日、最澄、比叡山にて歿。56歳。
824 天長1 この頃、空海、「広付法伝」を著し、徳一の批判に答える。
835 承和2 3月21日、空海、高野山にて歿。62歳。
842 承和9 10月10〜16日、徳一、南都興福寺維摩会講師を務む。
11月9日、徳一歿。62歳。
1124 天治1 如法寺炎上。
1151 仁平1 如法寺炎上。
1201 建仁1 8月3日、住永慶、大般若経書写始むが果たさず歿。
1323 元享3 仁王堂修復。
1332 正慶1 野沢地頭荒井信濃守頼任、如法寺を建替。
1346 貞和2 7月17日、執金剛神の宝器成る
1363 貞治2 野沢村主荒井新左衛門政勝の母、法羽比丘、大鐘を奉納。
1369 応安2 5月、源朝臣貞世、観音宝前に蝉付金口奉納。
1478 文明10 観音堂葺き替え。
1483 文明15 11月24日、住貞俊、永慶未完の写経書き継ぐ。
1485 文明17 7月8日、住貞俊、大般若経書写終る。
1489 延徳1 2月、大檀那諏訪祝刑部三郎森定、大般若経唐櫃を奉納。其時地頭大槻長門守藤原朝臣盛定。住貞俊41歳。
1505 永正2 連歌師猪苗代兼載、葦名親子の和睦の為に祈祷百韻を詠む。如法寺にて『さみだれし空も月げの光り哉』
1544 天文13 観音堂、仁王門修復。
1564 永禄7 5月17日、鉄製釣燈籠奉納なる。住頼貞代。(国重文・奈良国立博物館所蔵)
1611 慶長16 8月21日辰刻、会津大地震あり、如法寺堂塔震倒大破す。
1613 慶長18 7月21日、津川城主岡半兵衛重政、観音堂建立成就。住頼誉代。
1687 貞享4 2月3日、遍照寺に隠居せし宥儼、疫病退散を祈願し三七日の断食後入寂。「お能化様」と尊崇さる。
1688 元禄1 会津藩主松平正容公、領内巡見にて参拝す。
1718 享保3 貞治2年銘の梵鐘を改鋳。径1尺6寸、重63貫。
1727 享保12 野沢郷頭五十嵐文五郎俊豊、境内に句碑建立。『燭火や照らせたまへる白蓮華』
1729 享保14 3月19日、当山中興宥澄歿。弟子教厳墓建立。
1739 元文4 3月28日、仁王尊、若松の仏師3名が再興、開眼供養。
1745 延享2 5月吉日、弁財天堂鰐口奉納。住存津代。
1761 宝暦11 観音堂修復。
1763 宝暦13 観音堂高欄擬宝珠14個、村民40名が奉納。1個重1貫百匁。
1764 明和1 12月17日、観音堂中興、住職暦7箇年、壽寶歿。弟子應明高野槙側五輪塔墓建立。
1805 文化2 鳥追正観音千年祭大開帳。
1829 文政12 3月8日、住隆敝歿。
1833 天保4 5月、観音堂中興壽寶並應明之位牌、東都榮譽が建立し納む。
1844 天保15 この頃、本堂庫裏焼失。壽音並びに義光の連名にて勧進す。
1850 嘉永3 7月、本堂建立。住義光代。
1861 文久1 観音堂に武者絵馬奉納なる。
1868 明治1 8月9日、戊辰の役で野沢に出陣の松平容保公、お忍びで鳥追観音参拝後、若松城へ戻る。
9月22日、会津藩降伏し開城。
1870 明治3 6月4日、第43世紅月歿。
1889 明治22 1月28日、第44世密宗歿。
1922 大正11 6月18日、第45世善淨歿。
1942 昭和17 11月、享保3年改鋳の梵鐘等戦時供出。鐘楼門解体。
1945 昭和20 7月29日、第46世善教歿、50歳。
8月15日、終戦
1948 昭和23 5月6日(旧3月21日正御影供)第47世善明晋山、23歳。
1951 昭和26 本堂修繕。
1955 昭和30 12月27日、高野槙、県天然記念物指定。(根周り6m、高さ30m)
1958 昭和33 11月、観音堂、仁王門トタン葺屋根竣工。
1959 昭和34 3月17日、秘仏聖観音像初め仏像4体が、県重要文化財指定。
1964 昭和39 6月16日午後1時1分、新潟大地震にて、本堂被害大。(M7.5 西会津は震度6)
1966 昭和41 庫裏建立。
1971 昭和46 梵鐘新鋳 重量100貫目(昭和17年11月、旧梵鐘が戦時供出し、新田正夫ご夫妻が寄進)
1978 昭和53 水子地蔵堂建立。
1982 昭和57 5月、総欅造り鐘楼建立。
12月31日、40年振りに除夜の鐘
1984 昭和59 3月23日、観音堂、仁王門が県重要文化財指定。
1986 昭和61 5月13日、新本堂建立地鎮祭。
7月27日、上棟式
1987 昭和62 4月25日、新本堂完成。
6月9日、御本尊還座。
1990 平成2 12月31日、NHK「ゆく年くる年」にて、除夜の鐘、元旦祈祷が生放映される。
1991 平成3 3月21日、本堂山門再建立。参道石畳改修。
1992 平成4 春、仁王門前の玉垣造営。
8月16日夕方、庫裏焼失。
1993 平成5 10月、新庫裏建立。
1995 平成7 7月、客殿建立。
1996 平成8 観音堂周囲玉垣造営。
2000 平成12

1月17日、初観音。西暦2000年記念に御戸帳新調し電動化。
春、万霊供養塔(新田正夫氏奉納)建立開眼。

2003 平成15 2月28日、鳥追観音開創1200年記念事業、仁王門屋根銅板葺き替え竣工。
2004 平成16 2月21日、第47世善明和尚、大僧正に昇任。
5月29日、如法寺中興第47世大僧正善明大和尚遷化。79歳。
6月21日、第48世権少僧正晃衛和尚晋山。52歳。
7月28日、観音堂屋根銅板葺き替え起工。
12月21日、観音堂屋根銅板葺き替え竣工。
2005 平成17 3月、如法寺観音講一同、五色幕奉納。
4月、観音堂正面参道石畳敷設竣工。
5月29日、歴代住職墓所改修並び大僧正善明和尚墓塔建立開眼。
6月、六地蔵尊鞘堂建立。大門柱建立。
6月1日〜11月30日、鳥追観音1200年前年祭特別御開帳開催。
秋、桜・椛などを記念植樹。
2006 平成18

3月、観音堂外側釘隠し復元、外陣床二重張り竣工。
5月、仁王門板壁張替修復竣工。
5月28日、徳一大師開創1200年鳥追観音大祭慶讃法要厳修。
6月1日〜11月30日、鳥追観音1200年大祭特別御開帳。
9月13日、悠仁親王命名の儀。御印に高野槙が選定される。県天然記念物、樹齢1200年、如法寺の高野槙が脚光を浴びる。
秋、咲き分け梅と枝垂れ桜を慶祝記念植樹。

2007 平成19 6月、永代供養合祀墓建立。

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